荏柄天神社 絵筆塚祭 日時:2008年10月12日(日)午後1時より 場所:荏柄天神社 鎌倉市二階堂74 0467-25-1772 ●筆供養:12日(漫画家の使い慣れた古筆にて寄せ書き後、供養上お炊き上げされます) ●まんが絵行灯:11日~12日(漫画絵の行灯、約1000灯が境内に掲揚されます) ●展示:一般応募「かっぱ絵」の展示 ●似顔絵:漫画家による似顔絵コーナー
昨今、法相の発言を聞くと「凶悪犯罪は厳罰をもって処す」、つまり「死刑」を強く訴えている。
しかし近年、犯罪者の心理を読み解いていくと、何割かは死刑になりたく犯行に及ぶ傾向がある。
つまり、無差別大量殺人鬼となれば確実に死刑になるという短絡的思考に走るわけだ。
となれば、「厳罰強化=凶悪犯罪減少」というこは考えにくい、寧ろ現在の社会背景における懸念要素が増大する中
死刑願望の犯罪者は増え続けると考えてよいだろう。
では、死刑制度を廃止すれば良いのだろか?
確かにある国では死刑を廃止し犯罪率が低下したと聞くが、
私は遺族の心理を擦れば死刑制度は存続すべきだと思う。
例えば無期懲役として加害者が塀の中で息をしていること自体許しがたいと心情的に理解できる。
しかし、単純に「死をもって償う」のは如何なものであろうか。
つまり死刑囚の「望むところ」としてはいけないのである。
では、どのようなかたちが良いのか、私は「自殺刑」という形を採用すればよいと考える。
犯罪者の心理からすれば、自身を傷づける勇気が無く他人を傷づけることを選択する、その先には死刑という外的作用により
「ある種楽に」命を終わらせることができる。
同じ死でも「自殺刑」とはその対局に位置する死の方法である。
つまり死刑囚の「望まぬところ」なのである。
では、自殺願望があって自殺できないものが他殺という凶悪犯罪に走るかというと、
これはまず考えにくいと思うが、厄介なのは、近年欧米犯罪に見られるように
大量虐殺の後自殺するというケースである。
結果的に死に到達すれば良いと言う考え方もあろうが、
このような行動を望む犯罪者は当然この改訂案は意味がなくなる。
基、この種の犯罪を事前に防ぐ為の処方箋は、やはり近くに居る家族や友人知人が、犯罪を起こすであろうものが発する
異変信号(言動行動)を敏感に察知する能力を見につける以外ないであろう。
さて前述、無期懲役のことを触れたが、私はこれを廃止すべきだと思う、10年15年で出所しては意味が無い。
「無期」という言葉が曖昧すぎる。
また、「恩赦」というものがあるが、「恩赦」ってなんだろう?
天皇の認証じゃなく被害者や遺族が認めるかどうかではないか。
恩赦が必要か否かは今後議論する余地があろう。
無期懲役に変わって必要なのは終身刑であると思う。
その前に、マスコミに一こと言いたい、よく特番で刑務所潜入といった類いのドキュメントを放送するが、
死刑囚が楽をしている場面を切り取って放送してはいないか?
もっと過酷を強い入られている場面を多く入れるべきだと思う。
犯罪予備軍は「今の生活より刑務所の方が楽そうだ」と誤解を受けるものが多く、
刑務所へ入りたいが故に犯罪を犯すものが増えている。
マスコミの責任は大きい。
まず、実態をクリアにし、地獄の日々を見せるべきではないか?
つまり「刑務所へは絶対に入りたくはない」と思い込ませる為には強いメッセージを持って制作すべきである。
尚、「終身刑」という呼称は使用せず、「終身地獄刑」と呼び名を変更するべきである。
最後に、この「自殺刑」案は、少しでも大量虐殺の抑止力となればよいと願って記述した私の意見である。
たまには世間に対し一石を投じたい と思う気持ちがあるおいらは「きもやらしい」
締め切り10日前からだんだんと脳圧を高め始める。
1週間前から、具体的なアイデアやキャラを考え始める。
この時期、脳圧がピークとなり脳内血管が「ピシッピシッ」と音と立て始める。
紙の大きさや絵の情報量などを締め切りから逆算して作業に入る。
(平均して締め切り3日前より作業開始、前日は必ず徹夜)
作業当日、アイデアはぼんやりとしたままで全く具体化しない。
この時期、脳内血管が「ヒクヒク」と痙攣し始める。
当然逆算で割り出した日数より実際はかなりタイトになり、しかたなくペンを入れスロースタートを切る。
一応それなりに構図を頭の中で描いていく。
キャラを一つ二つ描き上げていくと直ぐに色塗りに入る。
歩き始めていくと具体的なアイデアがどんどん沸き上がってくる。
アイデア、キャラ、色塗りが同時に進行していく。(つまり見切り発車てわけだ)
やがて締め切り当日の朝となり、完成を迎えるのだが、その完成直後の気分は最高最悪。
脳内血管は平常を取り戻しつつも、やや軽い脳梗塞気味になり、軽い記憶喪失、
睡魔、怠さ、嘔吐感、幻覚、幻聴、そして達成感、安堵感、次なる不安感などの感情が、
首都高のように複雑に入組み交差していく…まぁ、これもある意味カタルシスだと思うぞ。
それはそうと、いつも思うことだけど、ありゃ絶対「紙」の中に、絵の「神」が潜んでいるに違いないぞと感じる。
(その神が才能あるか否かは別として…)おいら以外の何かが居る…たぶん。
まぁ、こうして今日まで舐めきった人生をへらへらと送ってきたおいらなのです……もちろん明日からもね。